今になって思うこと【社会人6年目】

お久しぶりです。ぬんです。(誰も見てない)

 

この4月でついに社会人6年目に突入し、さすがに中堅社員の自覚が生まれてきました。

とはいえ、転職先では私が最年少で社歴も私が一番浅いのでまだまだ新人の顔をしてMTGに出席しています。

 

この一年、本当に色んなことがありました。

去年このブログを書いていたときは結構前向きなことを書いていたようですが、正直今はそんな気持ちではありません。去年の七月末、わたしはブログの末尾に韓国に好きな人がいると書きましたが、実はその時にはもうお別れすることが決まっていました。理由は本当に様々ですが、その一つとして私に覚悟が無かったことがあげられると思います。

「この人を好きだ」という気持ちだけでは、他のものを捨てる勇気を持てなかった。私の望むもの、理想とする結婚生活、人生プランを諦めることが出来ませんでした。

それだけの気持ちだったと言われてしまったらそれまでですが、多分そうだったのだろうと思います。違うと言いたいけれど、違わないから今私は1人でいるのだと思います。

覚悟は足りなかったけど、でも、でも、本気で、ちゃんと好きでした。そこに嘘はありません。

 

お別れしてから、正直少し解放感も感じていました。一緒にいる時間は本当に幸せで溢れていたけど、その一方で私が自分の今持っているものを捨てられないこともわかっていました。そしてそれは、私たちが別れるしかないということを示していたし、だからこそ私はいつも思い出作りをしているような気持ちで一緒に過ごしていました。それが本当に辛かった。一緒にいる時間が楽しければ楽しいほど、今日を思い出す日が怖くて泣きそうでした。

別れてから、もう韓国に行かなくていいのか、もう連休は友達との予定を入れてもいいのか、もう、毎日電話しなくてよくて、ちゃんと野菜を食べてるのか心配しなくてよくて、仕事が遅くなる時に連絡する人はいなくて、高いものを買っても節約しろって叱られることもないのか、ダイエットも新しい服も要らないかもな、なんて思ったり。

本当にひまになったのでずっと後回しにしていた簿記の勉強も再開して、経理五年目にして簿記二級を取りました、笑

 

一年が経過して、ようやく自分の生活を取り戻してきたと思っていましたが、まだまだふと思い出すことはあるし、もし今目の前に彼が現れたら飛び付いてしまうんじゃないかとも思います。

昨日このブログにアップした文章は一年前に別れてすぐ、自分の思ったことを下書きに残していたものでした。あの時の気持ちが鮮明に思い出されて、正直かなりキツかったです。自分でもびっくりするくらい、読んでいるだけで涙が溢れました。

でも、泣きながらやっぱり私は時間が戻ったとしても同じ決断をしただろうと思いました。好き、会いたいと伝えることは簡単だけど、その言葉には大きな責任が伴うと思います。その責任を今も持てないから、あの時も今も、私はこうするしかなかった。仕方なかったのだと思います。

 

またいつか、あんな風に好きだと思える人に出会えるといいなと思いつつ、このご時世自分から動かないと出会いなんてないし、うかうかしてたらもう30になるし、そう思うと少し焦りも出てきました。

このブログを始めたときは大学三年生で二十歳だったのに、そう思うと少し感慨深いな。

 

とにかく、今の私に出来ることは過去を過去として受け入れること、今を見据えて前を向くこと、もう誰かに甘えて現実逃避するのをやめて、自分の現実に向き合うことなのだと思います。

冷静に自分の現実に向き合うと怖くて怖くて逃げたくなるけど、でももう向き合う時が来たのかな。

 

来年またここに戻ってきた時、去年自己陶酔しすぎじゃね?って恥ずかしくなれるくらいになっていたらいいな。

 

韓国語について何も書いていなかったけど、もちろん今も続けています。今年で勉強始めて10年目。日常会話は不自由なく話せるので、やっと自分のものとして、特技ではなく言葉という一つのツールとして、そんな風に使えるようになってきたように思います。

まだまだわからないこともありますが、一つ区切りと出来る程度にはなったのではないでしょうか。

これからも少なくとも今の水準は維持したまま、他のことにもたくさん挑戦していけるといいなと思います。

特にやりたいことはないですが笑

まずは簿記一級かな。

 

あまり楽しいことは書けなかったけど、これが今の私のありのままだと思います。

正直たまに消えちゃいたくなることもあるけど、でもやっぱり頑張らなきゃ。

 

ではまた来年?

 

ぬん

 

わたしの思う「人を好きになるということ」

2025/8/11

大切な人との別れを経て、あまりにも辛い時間を過ごしている

仕事には普通に行っていて、仕事中は本当に普通。何も思わない。

軽口を叩きながら楽しく仕事している。

でも、昼休みになると1人になりたくなる。どうしようもなく、彼のことを、彼のことだけを考えたくなる。泣きたくなる。泣いている。

昼休みが終わると、また普通に仕事している。笑って、おやつを食べて、会議に出て、仕事している。

仕事が終わると、涙が出る。会社を出る前から、エレベーターに乗った瞬間から、泣きたくなる。最寄駅に着いたら涙が溢れる。彼が待っていてくれたことを思い出す。一緒に手を繋いで歩いたことを思い出す。いつも握り返してくれなかったのに、それに文句を言うのが楽しかったのに、最後の数日はしっかり握り返してくれていたことも思い出す。

別れを決意して、1人夜に家を出ようとした彼を追いかけて、線路越しに電車が過ぎるといなくなっていたことを思い出す。そして、またあの曲がり角から困ったような顔で戻ってくる彼を思い出す。私たちは弱くて、その日に別れられなかった。2人で焼き鳥を食べて、散歩して、家に帰って、お揃いのパジャマを着て、同じ布団で寝たことを思い出す。朝早くに目が覚めて、彼がいないと思って心臓が痛いくらいにドキンと跳ねて、彼を見つけて安心して泣きそうになったことを思い出す。最後なのが嘘みたいに、笑って別れられたことを思い出す。

たくさんの思い出があって、わたしのことを見る彼は自分で言うのも笑えるけど、愛に満ちていて、彼を見るわたしも愛に満ちていた。

好きで好きで好きでたまらなくて、ずっと自信がなかった私は、彼と出会って自信を持てるようになった。これまでずっと、わたしのことを好きという人に出会っても信じることができなかった。ずっと不安で苦しかった。そんな苦しみから彼がわたしを救い出してくれた。どんなに辛いことがあっても、わたしのことを好きであることに疑いを持つことはなかった。わたしのことを好きじゃなかったらどうしようなんて、思ったことなかった。それだけの深い愛をずっとくれていた。

でもずっと、ずっと、終わりのある関係だとも思っていた。彼との時間は全て思い出作りのようだった。いつか離れた時に私たちが生きていけるように、今日を思い出して頑張れるように、そんな時間だったように思う。

わたしは彼との未来を具体的に描けるだけの力を、覚悟を持っていなかった。ずっと持てていなかった。どうしたら持てるのか、わからなかった。自分の持っているものを過大評価していた。捨てることなんて簡単なのに、それを出来ないと思い込んでいた。今も、思い込みは取れていない。全部捨てて、彼のもとに行きたい。でも行けない。わたしが行くことが正しいのかわからない。もう正しさで人生の選択肢を変えたくない。わたしにとって正しいのは彼がいる方向を選ぶことなのに。わからなくなった。

 

彼と別れて最初の週末が三連休だった。家にいると狂いそうだった。

だから、出雲大社に行くことにした。

大阪から6時間もかかった。でも行かなきゃいけなかった。

一年半前、初めて出雲大社にきた。その後、彼と出会った。幸せな一年を過ごした。ずっとお礼をしなきゃと思っていたのにできていなかった。

今はもう、今は、わたしの隣に彼はいないけど、でもお礼がしたかった。ありがとうを伝えないといけなかった。そして、彼の幸せを願いたくて仕方なかった。

お盆休みの初日で新幹線はすごい混雑だった。初めて乗る鹿児島中央行きさくら。自由席しかとれなかった。運良く座れた。なんだか悲しみはなかった。

岡山から新型のやくもに乗り換えた。

グリーン車にした。快適で、でも少し酔ってしまった。駅弁も食べた。きっとここで泣くんだろうと思っていたのに泣かなかった。全然泣かなかった。

松江について、ホテルに荷物を置いた。ホテルで涙が溢れた。なんで泣いているのかわからなかった。持ってきていたしらったの絵葉書に彼に向けた手紙を書いた。

今松江に着いたよ。やくもがすごかった。

 

一緒に来たかったと書こうとして、嘘だと気づいた。一緒に来れないのに、もう一緒に来れないのに、一緒に来たいって思ってないことに気づいた。理性的な自分が嫌だった。わたしはもう一緒にこなくていいんだ。わたしは思い出作りの幸せで苦しい一年から解放されてしまったのか。そう思うと苦しかった。

30分ほど休んでホテルを出た。

松江駅近くのホテルから歩いて宍道湖のほとりまで。少し雨が降りそうだったけど、石段に座って宍道湖をぼーっと見ていた。

母が心配しているかと思い、電話をかけた。15分ほど話して、また電話を切った。わたしには母がいる。わたしは誰かを頼ることをしていて、少なからず救いになっている。彼はどうなのだろう。彼は誰かに救いを求めているのかな。1人で抱え込んでいたらどうしよう。そう思うと胸がくるしくなった。

40分ほどそうして、松江城まで歩くことにした。

前を歩いているおじさんの真似をして、途中の神社で参拝した。「ありがとうございます」と心の中で伝えて、何がありがとうなんだろうと思った。わたしって本当に中途半端で自分に酔った人間だなと思った。

松江城の天守閣には行かなかった。ベンチに座ってまたぼーっとしていた。隣に彼がいたらこんなことを言うだろうな、こんなことをするだろうな、こんな表情をするだろうななんて考えていたら、涙が止まらなかった。心から、一緒に来たかったと思った。全然理性的なんかじゃなかった。ずっと一緒に来たかった。お土産屋さんで彼と一緒に日本酒を選びたかった。わたしは飲めないけど、これ美味しそうだよ、なんてわかんないなりにおすすめして、おつまみもかって、ホテルでのもっか!って話したかった。彼の好きなゆずジュースが売っていた。いつもの高知のゆずジュースとどっちが美味しいかな、なんて、そんな会話が浮かんだ。帰省する時に会う約束をしている友達にお土産をかって、自分用に甘酒を買ってホテルまで帰ることにした。

甘酒は最初変な味がした。彼にあげるって言ったら一口飲んで、うわって言いそう。わたしがもうこれ全部飲んでいいよって言ったら、笑いながら何それーって言いながら、やだ!とか言うんだろうな。ずっと飲んでたら美味しく感じてきた。意外といけるかもとか言ったら、なんか幸せそうに、なにそれってまた笑いそうだな。

もう涙が溢れて止まらなかった。なんで隣にいないんだろう。一緒に来たかった。一緒にここを歩きたかった。この景色見せてあげたかった。全部一緒がよかった。

帰っていたらゲリラ豪雨みたいになって、買ったばかりのジーパンがびしょびしょに濡れた。色の薄いジーパンで、30000円もした。彼とのデートに着ようと思って買ったものだった。

デートの時に嬉々としてきていったのに、焼肉のタレをこぼしてしまって心の底から落ち込んだ。もうそんな高いの着たらだめだよって言われたのを思い出した。でももうどうでもよくなってた。彼がいないなら、雨で泥で汚れてもどうでもよかった。

でも明日も履くからと思って、ズボンをたくし上げて帰った。

初めて会った日もゲリラ豪雨があったな。2人で同じ傘で笑いながらカフェに駆け込んで、あったかいカフェラテを飲んだ。あの時はこんなふうに、幸せで、苦しくて、大好きで、こんな気持ちになるなんて思わなかった。

 

2026/6/30

幸せだったけど、苦しくて、大好きだけど覚悟が持てなくて、覚悟を持てないと伝えることが苦しくて、でもそれが今の私にできる一番の優しさだと私は思っている。

無責任にこの好きという気持ちだけを伝えることは私たちの未来にとって良くないことをわかっていて、天然な彼は多分私の言葉を心から信じて私の覚悟ができる日を待ち続けてしまうかもしれない。

 わたしは、好きな気持ちより、自分のなりたい未来を優先した。その未来が来ないかもしれないことはわかっていたけど、今の気持ちだけを優先して、いつか相手を憎んでしまうかもしれないことの方が怖かった。

それが私が選んだ道なのだから仕方ないのだと思う。

実はこの文章の大半は一年前に書いたものだけど、読み返してまた涙がながれている。

こんなにも泣くくらいなら今すぐ飛んでいって好きだと伝えたいぐらいだけど、でも冷静に、やっぱり無理だとわかってる。

いつか私の望む未来が来るのかな〜と不安と焦りに押しつぶされそうになりながら、今日は少し可愛い格好をして家を出た。

 

幸せでいてくれますように。私も幸せでいられますように。

人を好きになるのは本当に幸せで、好きにならなきゃよかったと思うくらい辛いことだなと知ったアラサーの夏。。

またこの季節がきた【社会人5年目】

 

「もはや自分が何年目かもわからない。」

先輩達からよく聞いたこの言葉の意味がわかってきた、社会人5年目です。

 

はてなブログから毎年この時期にメールがきて、一年に一回、このブログのことを思い出します。去年も下書きまで作ってはいたみたいだけど、結局更新せずそのままになっていました。

 

今年は更新まで書き切ろうと思います。

 

3年目に書いた記事を見て、そうかあの時はTOPIK5級だったなと思い出しました。実は昨年6級を取得し、ついに最上級メンバーの仲間入りを果たしました。

 

受けた当初は本当にぼろぼろだと思っていたのであまり期待はしていませんでした。

むしろ4級に落ちていたらどうしようとすら思っていたので、まさか自分がここまで来れるとは、という気持ちでいっぱいです。

 

結果を見た時は自分でもびっくりするくらい泣きました。

泣けるくらい頑張ったことに、泣いてから気がつきました。

 

ずっと私を応援してくれていた母もちょっと泣いてました。あまり私に関心がないと思っていた父にも「何か一つのことをやり切ったことは本当に偉い」と言ってもらえました。

 

韓国語の勉強を始めて今年で9年目になります。決して早いとは言えないけれど、6級という一つの結果を出せたこと、本当に嬉しく思います。(維持しなきゃ)

 

とはいえ私の身の回りには大きく変化なく、と思っていたのですが、昨年の12月には仕事として初めて韓国語の通訳を任されました。

 

経理として働いているのは変わらずですが、韓国語なんて一切使わない会社で、韓国語アピールをしてきたことが功を奏しました。

あまり上手くできたとは思っていなかったのですが、社内通訳としては先方、そして社内でも認めたいただくことができました。

嬉しかったー!

 

正直これまで、自分の韓国語能力を「生きたもの」として考えたことはありませんでした。

TOPIK6級に合格した時も、嬉しくもありながら、どこかで「でもテストの点数が取れるだけでビジネスレベルかと言われるとそうではないな」と思っていました。

 

だからこそ、この社内通訳の経験は「生きた韓国語を使えた」という貴重な経験であり、大きな自信になりました。

 

経理としても、4年目からは社内プロジェクトへの参加をきっかけに、素敵な出会いもあり、仕事面でも認めてもらえた1年だったなと振り返ります。

 

「留学を諦めた経験」は今思うとちっぽけだなと思うのですが、わたしを成長させてくれたことに間違いなく、これからもわたしはこの経験と共に、時に自分を鼓舞するためのものとして思い出すのかもしれません。

 

そして今年は4年間働いた会社を退職し、地元からも離れ、また都会に出てきました。

今回の決断は、経理としてのスキルアップを目指してのことです。

 

地元での4年間は本当に素晴らしい経験で、経理として成長させていただいただけでなく、全く生かされないと思っていた韓国語も使うことができました。

本当に宝物のような4年間でした。

 

2年前、社会人3年目だったわたしは本当に毎日が辛いと言っていたけど、それは成長をするための痛みだったなと今は思います。

 

もちろん今も全然しんどいし、スキルアップを目指しているけど仕事なんてしたくない。宝くじが当たったらやめるんだ!と思いながら会社に通う毎日です。

 

でも、楽しいです。

生きててよかったです。

 

たぶん、6年前の私に「6年後、生きててよかったーって言ってるよ!」って言っても1ミリも響かないと思うけど、でも、そんなに本気で私のことに向き合ってくれてありがとうって伝えたい気持ちです。

 

今は年に6回くらい、韓国に行ってます。

韓国に好きな人がいるからです。

 

もう26歳だし、そろそろみんな結婚してるし、これからどうするべきかわからないけど、とりあえず今は、たまに韓国に行きながら、宝くじに当たる日までは仕事がんばろって思っています。

 

また来年、この記事を見て何を思うのかなー

 

また来年!

 

ぬん

今になって思うこと[社会人3年目]

こんにちは。ぬんです。

私事で恐縮ですが、というかこのブログ自体そもそも私事しか書いてませんが、コロナになりました。

あんなにも憎きコロナ、ここまできたらもう罹ることはない、わたしは多分コロナにならない家系なんですよーと周囲にふれて回っていたあの頃の自分をたしなめたい。

なんか3年ぶりだと余計なことをつらつら書いてしまいますね。

 

コロナになって少し時間ができて、ふと思い出してはてなブログを開いてみたら、3年前の自分の文章がそのまま残っていてなんだか少し感動しました。

 

そして、少しだけ胸がチクっとしました。

 

 

あれから3年が経ち、わたしは地元に戻って就職しました。

今は社会人3年目として経理をしています。

正直大学では経理とはほぼ関係ないことを学んでいたので、0からのスタートではありましたが、なんとか毎日頑張っています。

 

韓国語の勉強ももちろん続けています。

昨年の7月にはTOPIKを受験し、5級を獲得することができました。正直4級に受かっていれば御の字という気持ちだったので、本当に嬉しかったです。

 

今年の5月には、念願の韓国旅行にも行ってきました。

3年前、あれだけ行きたいと願ってもいけなかった韓国だったので、正直今回も「飛行機が飛ばないんじゃないか」「入国審査で弾かれないだろうか」なんて本気で不安に思っていました。

そんな不安はなんだったのか、楽しい5日間を過ごすことが出来ました。

現地では韓国の方と韓国語でのやり取りもでき、勉強を続けてきて良かったと感じた一方で、未熟さに直面することもあり、今後の韓国語学習へのモチベーションにも繋がりました。

 

そんなこんなで、今の生活にもすっかり満足して、正直留学を諦めた頃の気持ちなんてすっかり忘れていました。

 

入社をしてすぐの頃は、会社を辞めて留学をしようだとか、転職して韓国で働こうだとか色んなことを考えていましたが、今はここでの生活をもっと楽しみたいとそういう気持ちに変わっています。

 

3年前の文章を読んで、やっぱり時間というものは本当に偉大で、あんなに苦しんだこともこんな風に一つの思い出、経験として消化することができるようになるのだと改めて感じました。

 

あの時、他の人と少しだけ違う方向に進んでみようとした私は、もしかするともう今の私の中にはいないのかもしれません。

でも、あの時、やってみようと思ったことに素直に向かって行けたという経験は私の中でとても大切な大切な思い出になっています。

 

ただ、今になって過去の自分の文章を読んで思うのは、やっぱり逃げでしかなかった選択だったのかもしれないな、ということです。

自分を否定する訳ではないですし、そもそも自分自身当時から逃げであることは自覚をしていましたが、韓国語はいつでも、私にとって苦しい場所からの逃げ場だったのかなと思うんです。

 

就活、入社後のしんどい毎日、そんな苦しい場所から、韓国語なら私を連れ出してくれるんじゃないかと思っていたのだと思います。

他の国の言葉を話している時ってなんだか別人になれた気がするからかもしれないです。

 

でも、もうそれも終わりにしよう。

好きなことを、目の前をのことを逃げるための言い訳に使うのはすごく悲しいことだと思うからです。

 

今、社会人3年目になり、本当に毎日が辛いです。もちろん楽しいこともたくさんありますが、自分にできないこと、自分の弱いところ、自分が持っている悪い癖、全てに直面し、絶望する毎日です。

それでも毎日、MBCから流れる韓国の朝のラジオを聴きながら通勤していると、今日も頑張ろうと思えるんです。

 

目の前の苦しみからの逃げ場としてしか利用できていなかった韓国語が、私が目の前のことを頑張るための支えに変わったのかもしれません。

 

色んなことがあったけど、そして、あの時、色んなことを経験できなかったけれど、だからこそ今の私があるんだと思います。

 

体調もだいぶ良くなってきたので、明日から仕事も再開です。

明日もラジオを聴いて頑張ろう。

そんなことを思った1日でした。

 

このブログどうしようかな、、、

 

ぬん

 

 

 

社会人になる直前に、過去を振り返ってみる

※これは2021年3月に下書きにしていた文章です。供養します

 

 

こんにちは。ぬんです。

誰もみていないブログを、気まぐれに更新しています。

 

今日は3月24日。

もう日付変わってるけど。

 

今日はなんと、大学の卒業式でした。

コロナの所為で地方の実家に帰っているので、式に参加することはできませんでした。

行きたいなーと思っていたけど、引っ越しやらなにやらで、袴も予約していないし、コロナもまだまだ油断できないし、ということで行かないことにしました。

やっぱり式典にでたら、卒業!って実感が湧いたのだろうけど、わたしはもう少し学生気分が抜けないみたいです。

 

でも、わたしはもう学生でも、就活生でもなく、1週間後にはスーツを着て働き始める社会人になります。

 

社会人になる前に、もう一度だけこれまでを振り返ってみようと思い、この自己満ブログを更新してみたというわけです。

 

最近、一つ下の学年の友人や後輩が就活生として動き始めている様子を見て、一年前のことをよく思い出します。

留学を諦めて、就活をはじめたばかりの私は、毎日毎日泣いて泣いて泣いて、就活をやらなくてもいい理由を探して、それでも色んな人の力を借りて、前に進もうと必死でした。

 

あの時の私が生きていられたのは、両親の存在と、側で話を聞いてくれた友人がいてくれたからだと強く思います。

 

正直このまま死ねた方が楽だと毎日考えていたし、夜になれば布団の中で明日目が覚めないことを祈っていたし。

それでもなんとか自分と向き合って、やりたいことを捻り出して、運良くそれに近いことを成し遂げられる会社と出会えたわけです。

 

でも、今の私はまだまだ甘いんだろうなと思っています。

 

就活ハイの中で見つけた「やりたいこと」が本当に本当にやりたいことなのか、怖い人に胸ぐら掴まれて問い詰められたらそうですって答えられないような。。

 

内定先にはある程度夢を持っているけど、やっぱり理想と現実の差はあるだろうし。

 

あーあ。こえーな。

 

そんなことを毎日考えていたら、ストレスで急性胃炎になり、急遽胃カメラ飲みました。

 

 

 

 

 

今になって思うこと

 

こんにちは。

ぬんです。

 

カレンダー上ではもう7月も終わるのに、雨の日が続いていてまだまだ夏は来ない感じ

 

最近少し思うようになったことを残しておきます。

 

ちょうど一年前の7月11日。

新橋の焼肉屋で留学を決意し、それから色んなことがありました。

 

就活から逃げるようにはじめた留学への挑戦は、コロナというヤバいウイルスのせいで頓挫しました。

 

誰のせいでもない、わたしの努力が足りなかったわけでもない、ただタイミングが合わなかっただけで、一つの夢を諦めることになった経験は一生忘れることは無いと思います。

 

毎日泣いたし、親に八つ当たりもしてしまったし、苦しかったし、悔しかったし、心の中にどうしようもない怒りと悲しみしかない時間を過ごしてきました。

 

就活をすぐに始めることになって、その苦しい気持ちはもっともっと大きくなって、でもなんとか必死に、死なずに生きてきました。

 

毎日毎日、明日が来るのが怖かったし、ベッドに入っても焦燥感で眠ることもできないし、このまま目が覚めなければいいと祈りながら日々を過ごしていました。

 

内定をもらえなかったらどうしよう。でも、内定をもらったら、本当に留学は諦めることになる。わたしはなにを目指して生きてるんだろう?

 

そんなことを思っていました。

 

でも、やるしかない、今わたしにできるのは目の前にある就職活動に必死に向き合うことだけだ

そう自分を奮い立たせて、不安をなかったことにしました。

 

何度も心が折れて、くるしくて、逃げたくて仕方なかった

でも、なんとか内定をもらうことができました。

 

内定をもらっても、不安ばかりの毎日でした。

 

人生が決まってしまったような気がして、未来が誰かに決められてしまったような気がして、期待なんて持つことができなかった

 

留学をしたい気持ちは残っているし、三月の頃を思い出すと涙が出る

悔しくて悲しくてしんでしまいたくなる

 

あんなにほしかった、いや、ならなければならないと思っていた内定者という立場になっても、虚しさばかりがありました。

 

就活自体、手は抜いてない

必死にやった、がんばった、結果も出た

なのに、喜んでいない自分がいる

 

その矛盾もキツかった

 

ずっとずっと地獄みたいだった

 

留学を決意して一年

諦めて4ヶ月

 

幸せだったし、つらかったし、地獄だった

 

 

だけど、最近、思うようになってきました。

 

あのとき留学を行かないという選択をした自分を認めてあげてもいいんじゃないのかな

 

頑張ったことも、苦しんだことも全部受け止めて、受け入れてあげてもいいんじゃないのかな

 

なんだか言葉にするのが難しいけど、苦しんだ自分も頑張ってきた自分も、その経験も全部全部受け止めて、消化ができるようになってきたんです。

 

乗り越えたのではなく、受け入れた

 

この表現がしっくりくる。

 

三月を思い出すたびに涙が出ていた自分とは、もうお別れをする時が来たのかなあ

 

少しだけ寂しさもあるけど、経験を糧にするって、こういうことなのかな

 

そう思うようになってきたこの頃でした

 

 

はぁ、クソみてえな文章だな

 

下書きもなにもせずに書いたから仕方ないな

 

またいつかちゃんとまとめてみよう

 

ぬん

 

 

 

 

 

留学をやめて、就活をはじめた。

 

こんにちは。ぬんです。

 

前回、めちゃくちゃ長きにわたって留学をやめることについて書かせていただいたのですが、

 

あれから私は悩みに悩んだ結果、復学して、就職活動をはじめることにしました。

 

元々、2020年4月から四年生になるはずだったのを休学しようとしていたので、復学すれば普通に就活生になってしまうんですよね。

 

でも、私はそれまで一切留学の準備以外のことをしてきていなかったので、すごくすごく悩んだわけです。

 

休学届はもう出しちゃっていたので、このまま一年休んで何か出来ることをやろうかなと考えたり、留学が出来ないなら復学して就活生になろうかなと考えたり。

(そんな簡単になれるわけない)

 

だけどこの時点で既に3月上旬。

 

一般的に就活って四年生になる直前の3月1日から解禁されるので、まあまあ出遅れていた訳です。

 

なんなら夏や秋冬からインターンをして早期選考を受けている学生もたくさんいるし、3月1日ちょうどから始めるって人すら少ないんじゃないでしょうか。

 

就活を始めるとなると、ここがネックでした。

 

既に出遅れているし、コロナで経済はヤバイ。

こんな中で始めたとして、うまくいくわけがない。

 

そもそも留学出来なかったことを1ミリも乗り越えていないのに就活にシフトなんて出来るわけないし。

 

正直私の中では、復学する選択肢はゼロでした。

(まあ元々留学自体、就活がしたくなくてやろうと思った部分もあったりしたし。。。)

 

ではなぜ結局就活を始めることにしたのか。

 

復学するつもりなんてさらさら無かったんですが、やっぱり色んな選択肢を考えなくちゃいけないとは思っていました。

 

わたしが復学をしたくなかった理由は大きく二つ。

一つ目は、少しでも留学できるかもしれない可能性を捨てたくなかったから。

休学して時間さえ作っておけば、状況によってはいけるようになるかもしれなあと思っていたからです。

 

そして二つ目は、就活したくなかったから。

まあ、普通に嫌ですよ。

留学準備をしている段階で、周りの友人は就活を始めていたし、その準備がどれだけ大変なのかも分かっていました。

今、1からスタートしたとして、そうやってこれまで就活に向けて準備をしてきた人たちに太刀打ちできるわけないと思っていたからです。

 

こんなことを考えながら、

絶対復学なんか(就活なんか)するもんか!バーカ!

みたいな気持ちで毎日泣きながら過ごしていました。

 

そんな日を数日過ごしているとき、留学放棄でメンタルをやられた私を心配してくれたゼミの友達と会う機会がありました。

 

私はいつも悩んだら友達に相談します。

一人で考えていても、何にもいいことはないからです。

 

この時も集まってくれた友人たちに、ひと通りこれまでの事を話し、今後どうすればいいのか少しだけ悩んでいることを伝えました。

(就活はしたくないという意思は強調しつつ)

 

話を聞いてもらい、色んな意見をもらう中で、ひとつ分かったことがありました。

 

私が留学を諦めた理由の一つ。

家族を心配させることが辛いからというものです。実は、この理由にはもう少しややこしいことがありました。

私の父は、コロナの影響を強く受けてしまう(かもしれない)仕事をしています。

そのため、今後のコロナの動き次第では、私自身も大学に通い続けられるかどうかなど、かなり家計的にシビアな不安がありました。

 

その上で留学なんてしたら。。

 

そんな事を思って留学を辞めたという経緯があったので、もしこのまま留学は行かないにしても、休学をしてしまうと同じことになるんじゃないか?と思ったわけです。

 

わたしは上京して一人暮らしをしているので、休学をしていても部屋はそのままだし、生活費はかかるし、金銭的な負担は大きなものになります。

(部屋を解約するという方法もありますが、この時点で既に更新料を払っており、一度地元に帰るための引越し料金や、一年後復学した時の引越し料金などを考えると、あまり負担は変わらない計算になりました。)

 

そこで、またわたしは悩みはじめました。

どこまで家族に自分の決断を左右されるんだと思われる方もいらっしゃると思いますが、それだけ自分の中では家族は大きな存在なんだと思います。自覚はしてないですが。

 

だけど、どう考えても、就活はしたくない。

だって絶対無理だもん。

行きたいとこ行けるわけないもん。(そもそも行きたいとこもない)

 

でも、休学して、なにする??

結局留学にも行けず、なにもせずに親に負担だけをかけてニートをするのか?

一年後、そのまま就活をはじめても、むしろ辛いことになるんじゃないだろうか

 

留学を諦めるかどうかでも死ぬほど悩んだのに、またここで悩むのかと、とても辛かったです。

 

でも、何度も考えて、最後に私が就活を選んだのには、

ここで休学を選ぶことは、あれだけ苦しみながら決めた留学断念を無駄にすることになるんじゃないだろうかという気持ちが大きく影響したのだと思います。

 

家族に負担をかけたくないという思いを大切にした上でした決断を、無駄にするわけにはいかないと思ったわけです。

 

そこで、

自分が復学したくなかった二つの理由を考えてみることにしました。

 

一つ目の留学の可能性にかけたいからというもの。

休学をせずにその可能性を生かし続けることはできるのだろうか。

考えた末に出した結論は、春学期中に残りの単位を取得し、就活も終わらせた上で、秋から半年間留学にいくというものでした。

(コロナが想像以上に蔓延し、この選択肢がもはや不可能になってしまったという現実は一旦ここではお忘れください。)

春学期のうちに卒業単位さえ取っていれば、学校に行かなくても良くなるため、この方法なら可能性を捨てなくても良いということに気づいたのです。

これで一つ目の理由は解決しました。

 

続いて二つ目。

シンプルに就活したくない。というもの。

これはかなり解決が難しいものでした。

だってしたくないんですからね。

でも、今からでも遅いかもしれないけれど、遅すぎるわけではないと考え、必死に取り組めばきっとうまくいくだろう。

そんな風に前向きに捉えることで、がんばろうと思うようにしました。

 

でも、結局一番は、自分の留学を諦めた気持ちを無駄にしたくないという思いが強かったのかもしれません。

 

そんな感じで、わたしは就活をはじめることにしました。

ちなみにこの時点で3月5日。

みなさんが思っているよりは、早いなという印象を持たれたのではないでしょうか

 

わからないけど。

 

まあこのスピード感も後々自分を救い、苦しめまくる要素になってきます。

 

書いてて思ったけど、わたしはいつも納得して何かを決めているというよりは、決めた後にその決断を納得させようと努力しているんですね。

 

良いこととは思えないですが、それでも、頑張ってきたことは間違いないので、いいのかな、

わからないです。

 

はぁ、

努力はしているんですが、また稚拙な文章を生み出してしまいました。

ここまで我慢して読んでくださって、ありがとうございました。

 

就活をはじめることにしたわたしは、この後一週間で4キロ体重を落とし、文字通り身を削ってもがくことになります。

 

そのお話もまた勝手にしていこうと思っておりますので、時間があれば覗きに来てください。

 

では!

 

ぬん。